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日本文学史(问题.doc
学年学期:2009-2010学年第二学期 课程性质:□考试□考查 课程名称:日本文学史 考试类型:□期中□期末□重考□免修 课程编号: □毕业前重考□其它
1.以下の空白部についてそれぞれ適切な語を解答欄に記入しなさい。
(各1点、計75点)
(1)日本文学史の時代区分を古い順から答えなさい。
( ① )→( ② )→( ③ )→( ④ )→近現代
① ② ③ ④
(2)七世紀に入ると、聖徳太子は( ① )を派遣するなど大陸の文化を盛んに取り入れ、ここに日本最初の仏教文化である( ② )文化が栄えた。七世紀の半ばには、大化の改新が行われ、天武天皇の時代に至って律令国家建設の事業が完成に近づいた。この時期、中国文化への関心が著しく高まり、初唐の文化の影響を受けた( ③ )文化が生まれた。ついで、奈良時代には、盛唐の文化の影響を受けたはなやかな( ④ )文化が栄えることになった。
① ② ③ ④
(3)皇室や民間に伝えられてきた神話?伝説?説話や歌謡は、天皇中心の国家体制の確立や国威の維持を意図して編まれた『( ① )』『( ② )』「( ③ )」に取り入れられた。また神への祈りの言葉である( ④ )は、平安時代の『延喜式』に記されている。律令国家のもとで盛んに中国文化が移入されてくるにつれ、中国の漢詩の影響を受けて、『( ⑤ )』が編まれた。つづいて、作者層?制作年代?歌数、どれをとっても他に類をみない一大歌集『万葉集』が誕生した。( ① )の作者についてであるが、天武天皇は( ⑥ )に誦習させ、それを( ⑦ )が撰録した。同時期に作られた( ② )は元正天皇の勅命によって( ⑧ )らが編集したものである。( ① )のねらいが、古伝承の統一をはかり、皇室の威信を諸氏族に示すためであったのに対し、( ② )は、当時の先進国( ⑨ )に対して日本国の優位を示すためのものであった。したがって、( ① )が漢字の音と訓を交えた変体の( ⑩ )文体で書かれているのに対し、( ② )は純粋な( ⑩ )文体で書かれており、その構成は( ⑨ )の史書の形式に倣った( ? )体である。この際、人名や歌謡は、一字一音式の万葉仮名で表記された。( ③ )については、元明天皇の勅命に応じて、諸国が編集して提出した地誌であり、文体はほとんどが( ⑩ )体である。そのうち完本として残っているのは『( ? )』だけである。
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ? ?
(4)9世紀後半、仮名文字が普及し、( ① )文化への関心が高まるにつれて、和歌は再び盛んになり、( ② )ら六歌仙が活躍し、歌合せがしきりに催された。こうした和歌の復興を背景に、十世紀に初めに、( ③ )らによって最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が撰進された。「( ④ )ぶり」といわれる優美な歌風の古今和歌集は、( ① )文化尊重の流れを決定づけるものであった。
また、散文も仮名文字で記されるようになり、仮名の物語や日記も盛んになった。物語としては、十世紀初めごろ、現存最古の物語『( ⑤ )』が書かれた。伝奇性の強い( ⑤ )は( ⑥ )物語といわれる。そして、( ⑤ )と前後して、『( ⑦ )』が成立した。これは( ③ )の歌を中心に、みやびの心を描いていて、( ⑧ )物語といわれる。一方、仮名の日記としては、( ③ )の『( ⑨ )』が書かれた。
十世紀末から十一世紀にかけて( ⑩ )政治が頂点に達するころ、宮廷を中心に、多くの才女が現れ、宮廷女流文学の最盛期を迎えた。まず、( ? )は自伝的な『( ? )』を書き、女流日記の先駆となった。一条天皇の時代には、中宮定子の女房に( ? )が、中宮彰子の女房には( ? )が現れた。( ? )の随筆『( ? )』の中心理念とは、明るく知的な「( ? )」の文学であり、一方( ? )は古典文学の最高傑作と呼ばれる『( ? )』を執筆、主人公( ? )とその子( ? )を中心に、貴族社会の愛と悩みを描き、人間の真実を追求した。全編に「( ? )」の情趣が漂っている。
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?
(5)鎌倉時代以降の文学は一言で言えば( ① )観の文学ということが出来る。その中の草庵文学の代表としては、( ② )の『( ③ )』と、( ④ )の『( ⑤ )』とがある。同じく( ① )観の文学としては『( ⑥ )』などの軍記物語がある。平曲として( ⑦ )によって語られ流布する過程で、改訂増補されていった。文章は巧みな( ⑧ )文で、随所に七五調の韻文体を織り混ぜて叙情を盛りあげている。軍記物語には他に、南北朝期の内乱を描いた『( ⑨ )』が
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