新シルクロード西安ーー永遠の都.ppt

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《高级日语听力补充讲义(视听讲义)》        (一);新シルクロード      西安——永遠の都 ; 本教材では、2005年12月日本NHKスペシャル 『新シルクロード』で、井真成のイメージ ドラマが放送されたものによる内容である。 ;キーワード: ;教材の構成;*;1、井真成 井真成(せいしんせい)699年 - 734年(日本?天平6年、唐?開元22年))は、中国の古都?西安で墓誌が発見された、奈良時代(中国の唐朝)の日本人留学生または官吏の姓名。日本名は不明 ... 井真成は、中華人民共和国で発見された墓誌に、日本人留学生として記されていた姓名である。 墓誌は、同国陝西省西安市内の工事現場から発見されたと、同国の西北大学が、2004年10月12日に発表した。墓誌は発見された後、一度個人の所蔵となったが、西北大学付属博物館が収集したものである。 墓誌には、日本人留学生の井真成が、開元22年(西暦734年)正月■(朔~十,廿のいずれか)日に死去したので、「尚衣奉御」の官職を遺贈されたなどと記されている。これは考古学的に、中国で発見された最初の日本人の墓誌であり、現存の石刻資料のなかで日本の国号を「日本」と記述した最古の例である。 ;墓誌原文は以下の通り。 ■は、判読できない文字。 贈尚衣奉御井公墓誌文并序 公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能 ■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶 ■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終 ■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月 ■日乃終于官弟春秋卅六皇上 ■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官 ■卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水 ■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠 ■兮頹暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰 ■乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶 帰于故鄕  ;訓読文 ;抄訳;                    墓誌の謎 ;その研究 ;井の姓は中国風に一字に省略したもので、古代の帰化系氏族「井上(いのへ)氏」あるいは同様の帰化系氏族「葛井(ふじい)氏」の出身ではないかと推???する研究者もいる。葛井氏ゆかりの葛井寺がある大阪府藤井寺市では、同時期の葛井氏に「○成」という名が多く見られることを論拠として、井真成を「葛井真成」と呼び「せめて墓誌の形ででも”里帰り”を」と求める運動が起き、その”里帰り”が2005年(平成17年)に実現され、アイセルシュラホールで一般公開された。;出自に関する諸説 ;情真誠説 張雲方(中日関係史学会副会長) 中国の言葉でまじめでまっすぐな人柄を指すときに使う言葉の音に似た姓名を皇帝より下賜されたのではないかと主張し、日本名に関しては不明と主張。 中国姓説 王維坤(西北大学教授) 「井」姓は唐の時代から長安周辺に多い姓であり、それを採用したと主張し、日本名に関しては不明と主張。 ? その他 「井」という姓は、九州の熊本県に多く存在する。 ; 2、阿倍仲麻呂 ;3、吉備真備 ; 4、玄奘三蔵  ;西域の旅?帰還後  唯識の『瑜伽師地論』等の仏典の研究には原典による他ないと決意し、また同時に仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)に国禁を犯して出国した。 河西回廊を経て高昌に至り、天山北路を通って中央アジアから天竺(現在のインド)に至る。ナーランダ寺では5年にわたり戒賢より唯識を学び、また各地の仏跡を巡拝した後、天山南路を経て帰国の途につき、貞観19年(645年)1月、657部という膨大な経典を長安に持ち帰った。インドにおいては、ヴァルダナ朝の王ハルシャ?ヴァルダナの厚い崇敬と保護を受け、ハルシャ王へも進講している。長年にわたる旅の記録は『大唐西域記』として残されており、当時の中央アジア?インド社会の様相を伝える貴重な歴史資料ともなっている。帰国した彼は、持ち帰った膨大な梵経の翻訳に専念した。 ;貞観19年(645年)2月6日に弘福寺(のちに大慈恩寺、玉華宮)の翻経院で太宗の勅命によって始まった玄奘の翻訳は、『大般若経』600巻等、76部1,347巻に及んだ。長安の大雁塔はインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、玄奘が高宗に申し出て652年に建立された塔である。 麟徳元年(664年)、長安近郊の玉華宮において寂した。;訳経  玄奘の翻訳は、その当時の中国語に相応しい訳語を新たに選び直しており、それ以前のKumārajīvaクマーラジーバ(鳩摩羅什)らの漢訳仏典を旧訳(くやく)、それ以後の漢訳仏典を新訳(しんやく)と呼ぶ。一例として『般若心経』も彼が翻訳したものとされているが、この中で使われている観自在菩薩は クマーラジーバによる旧訳では観音経の趣意を意訳した観世音菩薩となっている。訳文の簡潔さ、流麗さでは旧訳が勝るといわれている

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