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阿倍仲麻吕.ppt
阿倍仲麻呂について @フラワーフォア 版权所有.翻版必究 その時代の背景 地名ーー710年平城京へ遷都 寺ーー東大寺、唐招提寺 、药师寺 天平文化ーー万葉集、懐風藻 遣唐使ーー阿倍仲麻呂 阿倍仲麻呂の生涯 698年—770年 享年73歳 中国名は晁衡という 霊亀(れいき)2年(717年)、多治比県守が率いる第9次遣唐使に同行して長安に留学しました。同期の留学生には吉備真備もいた。 天平勝宝4年(752年)、在唐35年を経過していた仲麻呂は帰国を図ったが、暴風雨に遭って南方へ流された。幸いにも唐の領内である安南(ベトナム)に漂着した。結局、仲麻呂一行は天平勝宝7年(755年)には長安に帰着していた。 仲麻呂は帰国を断念して唐で再び官途に就き 結局、日本への帰国は叶えられることなく、宝亀元年(770年)1月に73歳の生涯を閉じた。 阿倍仲麻呂の仕途 唐の太学で学び科挙に合格し、唐の玄宗に仕える。 神亀2年(725年)洛陽の司経局校書として任官(正九品下) 神亀5年(728年)左拾遺をうけられた。 天平3年(731年)左補闕と官位を重ねた 天平5年(734年)には儀王友に昇進した。 天平勝宝4年(752年)衛尉少卿に昇進した 天平勝宝4年(752年)秘書監?衛尉卿を授けられた 天平宝字4年(760年)には左散騎常侍(従三品)から鎮南都護?安南節度使(正三品)として再びベトナムに赴き総督を務めた。 天平宝字5年(761年)から神護景雲元年(767年)まで6年間もハノイの安南都護府に在任した。 天平神護2年(766年)安南節度使を授けられた。 最後は潞州大都督(従二品)を贈られていた。 和歌及び漢詩 仲麻呂は唐の朝廷で主に文学畑の役職を務めたことから李白?王維?儲光羲らたくさんの唐詩人と親交していたらしく、『全唐詩』には彼に関する唐詩人の作品が現存している。 命を銜んで国に還るの作 銜命将辞国 命を銜み将に国を辞せん ? 非才忝侍臣 非才ながら侍臣を忝くす ? 天中恋明主 天中にて明主を恋しがり ? 海外憶慈親 海外にあれば慈親を憶う ? 伏奏違金闕 伏奏して金闕をたち違り ? 绯驂去玉津 绯驂は玉津を去らんとす ? 蓬莱郷路遠 蓬莱まで郷路はいと遠く ? 若木故園鄰 若木とは故園の隣りなり ? 西望懐恩日 西を望んで恩をしのぶ日 ? 東帰感議辰 東へ帰って義に感ずる辰 ? 平生一宝剣 平生ただ一振りの宝の剣 ? 留贈結交人 交を結びし人に留め贈る 《送秘书晁衡还日本国》 王维 积水不可及,安知沧海东。 九州何处远,万里若乘空。 向国惟看日,归帆但信风。 鳌身映天黑,鱼眼射波红。 乡树扶桑外,主人孤岛中。 别离方异域,音信若为通。 望郷詩 原文 翹首望東天 神馳奈良邊 三笠山頂上 思又皎月圓 書き下し文 首を翹げて東天を望めば 神(こころ)は馳す 奈良の辺 三笠山頂の上思ふ 又た皎月の円(まどか)なるを * * 《哭晁卿衡》 李白 日本晁卿辞帝都, 征帆一片绕蓬壶。 明月不归沉碧海, 白云愁色满苍梧。 阿倍仲麻呂記念碑 陝西省西安市にある興慶宮公園 内 /v_show/id_XMTgwOTIwNDky.html
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