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マルクス「学位論文」の哲学と思想
論 説
マルクス「学位論文」の哲学と思想
角 田 修 一
はじめに―課題設定
1.エピクロスの哲学とヘーゲル「哲学史」
2.マルクス「学位論文」におけるエピクロスの原子論
3.エピクロス哲学の原理―自己意識の絶対性と自由
4.自己意識哲学と自由主義思想―諸説の検討
5.観念論と唯物論―むすびにかえて
はじめに―課題設定
K?マルクスの学位論文「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」(イエナ大
学,1841年4月,以下「学位論文」)は,かれが弱冠22歳で書いた最初の学術的著作である。いわゆ
る初期マルクスをめぐる議論のなかでもとりあげられることが多くはないが,いくつか素朴な,
あるいは素直な疑問がわく論文である。
ヘーゲルの弟子であるガンス(Eduard Gans, 1797―1839,法哲学)などをとおしてヘーゲルの観
念論哲学を学んだマルクスが,なぜ学位論文で古代ギリシャの唯物論を代表する哲学者をとりあ
げたのか。なかでも,ヘーゲル『哲学史講義』(マルクスは準備ノートでミシュレ K. L. Michelet編第
1版第2巻1833年刊を用いている)をみると,エピクロスにたいするヘーゲルの評価はかんばしく
ない。にもかかわらずマルクスは学位論文の結論部分で,デモクリトスよりもエピクロスを「ギ
リシャ最大の啓蒙家」とよび,エピクロスの哲学は「自己意識の自然学」で,その原理は「自己
意識の絶対性と自由」だと評価した。
これらのことから,マルクスは論文執筆時すでにヘーゲル哲学にたいしても批判的だったので
はないか,マルクスが関係していたいわゆるヘーゲル左派(マルクスの学位論文の注における表現は
「自由派」)の「自己意識の哲学」(ブルーノ?バウアー)との関係で,学位論文執筆当時,マルクス
はバウアーらと同じ理論的立場にいたのか,それともバウアーらにたいしてすでに一定の批判を
もっていたのか(周知のように,このあとマルクスはバウアーらの立場を厳しく批判するようになる),
あるいはそもそもこの論文のオリジナリティは何か,といった問題が提起されている。さらに,
学位論文執筆当時のマルクスの哲学上の立場は観念論だったのかどうか,そのマルクスが論文の
後にフォイエルバッハの唯物論を受容するが,その要素はすでにこの学位論文のなかにあるのか,
( )
39『立命館経済学』 2015年5月第64巻 第1号
39
また,その後にフォイエルバッハを批判することになる要素もすでに学位論文のなかにあるのか
などの問題もうかびあがるところである。
マルクスの学位論文は生前に公刊されなかった。1902年に F?メーリングによってはじめて公
表されたのだが,レーニンが論文「カール?マルクス」(1914年)において「(学位論文)当時のマ
ルクスは,その見解からすれば,まだヘーゲル学派の観念論者であった」という評価を下した。
そのため,マルクスの1841年から1844年ないし45年にいたる急速な理論的成長は「観念論から唯
物論への転換」として,またそれとともに「革命的民主主義から共産主義へ」として特徴づけら
れることが多かった。
わが国のマルクス研究においても,『経済学?哲学草稿』(1844年)あるいは「ヘーゲル国法論
批判」(1843年)に比べて,学位論文はとりあげられる機会が少なかった。1927年に出されたリャ
ザノフ編の旧全集版にもとづく改造社版『マルクス?エンゲルス全集』第1巻(1928年)には服
部英太郎による邦訳がおさめられている。それ以来,1970年代までに,淡野安太郎,重田晃一,
良知力,富沢賢治,城塚登,山中隆次,廣松渉,正木八郎,大井正,疋野景子などが初期マルク
ス研究のなかで学位論文を扱っている。また,これらの研究のなかで,リャザノフ,メーリング,
ルカーチ,コルニュ,オイゼルマン,レーヴィット,マクレラン,ヒルマン,ローゼンなどの海
外における学位論文研究が紹介された。1980年代以降は,「マルクスの哲学」とは何だったのか
という問題の一環として学位論文が取りあげられる機会が多くなっている(鷲田小彌太,山本広太
郎,岩淵慶一,渡辺憲正,石井伸男,田畑稔など)。さらに,マルクスの自然認識あるいはエコロジー
論について論じられる際にこの学位論文に言及されることもある(工藤秀明,フォスター)。(以上
については参照文献リストをみられたい)。
マルクス学位論文の研究は,ヘーゲル哲学,ヘーゲル左派なかでもブルーノ?バウアーの哲学
と思想との関係,そしていわゆる三月革命前期とドイツ初期社会主義というように問題が広がる。
しかし,本稿では,最初の素朴な疑問にたいする一定の解答をみいだすために,学位論文とその
執筆時期に限定し,エ
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