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マルクスの変革の哲学

1 2010.10.17 唯物論研究協会 マルクスの変革の哲学 牧野広義(阪南大学) この報告ではマルクスの「変革の哲学」を今日の「哲学」として再生させる意義を論じ たい。マルクスの哲学は、「世界の変革」を目指す哲学であるとともに、従来の哲学と対 決しこれを変革する哲学でもある。近年、田畑稔氏は、マルクスは 1845 年以降、「哲学の 外部にポジションをとった」と主張し、マルクスにおいては、エンゲルスが主張した「存 在と思考との関係の問題」としての「哲学の根本問題」などは問題にならないとされる。 マルクスは市民社会の解剖学としての「経済学批判」の仕事に全力を集中したため、哲学 の本格的な著作を残すことはなかった。その意味では確かにマルクスは「哲学の外部にポ ジションをとった」と言える。しかしながら、哲学とは世界と人間についての根本的な知 の探究であるとするならば、マルクスには豊かな哲学がある。またマルクスは「経済学批 判」という「哲学の外部」に出ることによって、従来の哲学を変革し、哲学そのものを深 化させたとも言える。このことをいくつかのテキストに沿って論じたいと思う。 一 「フォイエルバッハに関するテーゼ」について マルクスは『経済学?哲学草稿』(1843 年)において、「フォイエルバッハは、ヘーゲ ルに弁証法に対して真剣な批判的態度をとって、この領域で真の発見をした唯一の人であ り、一般的にいって古い哲学を真に克服した人である」として、フォイエルバッハを高く 評価していた。しかし国民経済学への批判的検討はフォイエルバッハをも乗り越える哲学 的視点を形成したと思われる。マルクスは「フォイエルバッハエルバッハに関するテーゼ」 (1845 年春)において、フォイエルバッハの『将来の哲学の根本命題』(1843 年)と類似 した叙述形式(番号の付けられた諸命題)で、フォイエルバッハへの批判を行う。しかし 同時に、ここで論じられる内容は、フォイエルバッハやシュティルナーらの議論を念頭に おきながらも、近代哲学全体への批判的対決を含んでいる。それは、『聖家族』(1845 年 2 月出版)がバウアー批判でありながら、デカルト派唯物論とフランス唯物論、イギリス 経験論、さらにドイツ観念論の総括を含んでいたこととも関連するであろう。マルクスは それらを批判し乗り越える「新しい唯物論」を提起するのである。 (a)「対象?現実?感性」を「実践」として把握 第一テーゼでは、「これまでのすべての唯物論(フォイエルバッハのそれをも含めて) の主要な欠陥は、対象、現実、感性が、ただ客体または直観という形式のもとでだけとら えられて、感性的?人間的な活動、実践として主体的にとらえられていないということに ある」と述べた。「対象、現実、感性」という言葉は、フォイエルバッハが『将来の哲学 の根本命題』の中で「その現実性においての、また現実的なものとしての現実的なものは、 感覚の対象としての現実的なものであり、感性的なものである。真理、現実、感性は同一 である。感性的実在のみが真の実在、現実的実在である」と言ったことを踏まえたもので 2 ある。つまり「対象、現実、感性」とは、感性でとらえられた現実の対象を意味する。そ れは、理性の対象こそが真理であり現実的であるとしたヘーゲルの観念論を批判したもの である。そして現実の感性的対象を観察する「直観」の対象として、「客体」として把握 することは「これまでのすべての唯物論」の基本的な立場である。マルクスはこの立場を 決して否定せず、むしろそれを唯物論一般の立場として認めている。 マルクスが批判するのは、旧来の唯物論がただ「直観」や「客体」の形式だけにとどま って、「対象、現実、感性」を「感性的?人間的な活動、実践として、主体的に」把握し ないことである。ここでマルクスが提起していることは、現実の対象を、感性的な(感覚 でとらえられる現実的な)人間的な活動、実践とのかかわりでとらえることである。すな わち、現実の対象(自然と社会)を、現実の人間的活動(労働と社会的実践)によって形 成され、再生産され、変革されるものとしてとらえることである。 マルクスはまた「第一テーゼ」を次のように続ける。「それゆえ、活動的な側面は、抽 象的に唯物論と対立して、観念論--もちろん、それは、現実的で感性的な活動そのもの を知らないのであるが--によって展開される」。ここでは人間の活動的側面は、観念論 (とりわけドイツ観念論)によって展開されたとさ

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