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数学的構造主義の哲学 久木田水生 ? 関西学院大学 2013年度前期 1 序 西洋哲学においては伝統的に「個」を重視する傾向が支配的だった．まず確固とした個というものがあり， その上でそれらが持つ性質，そしてそれらの間の関係が存在する，という考えである．このような考え方は 私たちの日常的な直観にとっても自然に思われる．「私」という個体は他の個体とは独立して存在しており， そして他者と様々な関係に立っている．「私」という個体が他の個体とともに生活することによって，家族や 共同体が形成される．また「私」は大量の細胞が集まって結びつき相互作用することによって成立している． 個々の細胞は分子から，分子はさらに原子から構成されて成り立っている． このような考え方はおそらく西洋哲学の歴史と同じくらい古い．古代ギリシャの哲学者デモクリトスは，そ れ以上分割することができない粒子，アトム（ギリシャ語で「分割できないもの」を意味する）が世界の最も 基本的な存在者である，と主張した．アトムは生成も消滅も変化もせず，なんの性質も持たない．あらゆる事 物はアトムから構成される．物体の形や色などの性質は，その物体を構成するアトムがどのように配置される かによって決定される． アリストテレスの存在論においても最も基本的な存在者は個体であった．彼の存在論では，世界には他の存 在者に依存せずにそれ自体で存在するものがあると考えられた．アリストテレスはそれを実体と呼んだ．そし て他の実体との関係を含めて，それがもつ属性は実体に依存するもの，実体なしでは存在し得ないものと考え られた．存在のカテゴリーにおける実体の優位はその後も多くの哲学者によって受け入れられてきた． その一方で，実体の優位性を否定する哲学的伝統もまた同じくらい古くから存在していた．ヘラクレイトス は，世界の根源は個々の事物ではなく，すべてのものが変化する過程であると考えた．例えば川について考え てみよう．一つの川というものは不変の実体として存在するものではない．川は水から構成されているが，し かし一つの川を構成する水は絶えず入れ替わっている．それゆえヘラクレイトスは「人は同じ川に二度入るこ とはできない」と述べた．このような絶え間ない変化の過程こそが川の本質である．生物に関しても同じこと が言えるだろう．生物個体を構成する細胞は絶えず新陳代謝を行っており，人間に関しても，ある人を構成す る細胞は数ヶ月でほとんど入れ替わる．そこで同一性を保っているのは，全体としての一定の状態である．だ とすると私たちはヘラクレイトスにならって「人は同じ人に二度会うことはできない」と言っても良いのかも しれない．だとすれば生物についても変化の過程がその本質であるということが言える．ヘラクレイトスは世 界のあらゆるものについて同じことが言えると考えたのである．そして火こそがこのような変化の過程を象徴 するものだと考え，「万物の根源は火である」と言った．このような思想はプロセス哲学と呼ばれ，個体?実 ? minao.kukita@ 1 体中心の存在論に対するオルタナティヴの一つとして存在してきた． 実体の優位性に対するもう一つの，より新しいオルタナティヴは構造主義である．構造主義は個体よりも， その個体を含む構造に注目する方法論である．現代の構造主義のルーツとしては，19世紀末にフランスの言 語学者ソシュールが創始した構造主義言語学と，20世紀前半に同じくフランスの数学者集団ブルバキが推進 した構造主義数学を挙げることができるだろう．ソシュールは言語体系の持つ抽象的な構造を研究し，ラング ／パロールの区別，シニフィアン／シニフィエの区別など，後の言語学や記号論に大きな影響を与える概念 的枠組みを見出した．ブルバキは 20世紀の初頭に確立した公理的方法と集合論を用いて数学の再構築を行っ た．その際，彼らは具体的な対象よりも，その対象を含む全体が持っている構造を集合論の枠組みで公理化す ることで，抽象的な構造を直接に研究した．個体よりも構造に注目する方法論はその後，文化人類学，文学， 心理学などにおいても広まり，大きな一つの思想的潮流となっていった．構造主義を代表する思想家としてレ ヴィ＝ストロース，バルト，ラカンなどが挙げられる． 数学の哲学における構造主義も同様に，数学的対象よりもそれらの作る構造を重視する立場である．ただし 構造主義言語学や構造主義数学が，構造に注目して研究を推進しようとする方法論であるのに対して，数学の 哲学における構造主義は数学に関する存在論的，認識論的な主張を含んでいる．私たちは以後数学的構造主義 という言葉によって，数学の哲学における構造主義を意味することにする．数学的構造主義は，数学の哲学