网站大量收购闲置独家精品文档,联系QQ:2885784924

西周の「哲学」と東アジアの学問.pdfVIP

  1. 1、本文档共17页,可阅读全部内容。
  2. 2、有哪些信誉好的足球投注网站(book118)网站文档一经付费(服务费),不意味着购买了该文档的版权,仅供个人/单位学习、研究之用,不得用于商业用途,未经授权,严禁复制、发行、汇编、翻译或者网络传播等,侵权必究。
  3. 3、本站所有内容均由合作方或网友上传,本站不对文档的完整性、权威性及其观点立场正确性做任何保证或承诺!文档内容仅供研究参考,付费前请自行鉴别。如您付费,意味着您自己接受本站规则且自行承担风险,本站不退款、不进行额外附加服务;查看《如何避免下载的几个坑》。如果您已付费下载过本站文档,您可以点击 这里二次下载
  4. 4、如文档侵犯商业秘密、侵犯著作权、侵犯人身权等,请点击“版权申诉”(推荐),也可以打举报电话:400-050-0827(电话支持时间:9:00-18:30)。
  5. 5、该文档为VIP文档,如果想要下载,成为VIP会员后,下载免费。
  6. 6、成为VIP后,下载本文档将扣除1次下载权益。下载后,不支持退款、换文档。如有疑问请联系我们
  7. 7、成为VIP后,您将拥有八大权益,权益包括:VIP文档下载权益、阅读免打扰、文档格式转换、高级专利检索、专属身份标志、高级客服、多端互通、版权登记。
  8. 8、VIP文档为合作方或网友上传,每下载1次, 网站将根据用户上传文档的质量评分、类型等,对文档贡献者给予高额补贴、流量扶持。如果你也想贡献VIP文档。上传文档
查看更多
西周の「哲学」と東アジアの学問

西周の「哲学」と東アジアの学問 - 151 - はじめに 本稿は北東アジア地域学術交流財団による「西周研究会」への助成によっておこなった 研究の成果である「新しい世界を求めて-西周とオランダとの出会い-」(『西周と日本の 近代』ぺりかん社、2005年所収)を中心に、以前の研究成果「儒学から哲学へ」(藤田正 勝?卞崇道?高坂史朗編『東アジアと哲学』2003年 ナカニシヤ出版)?儒教とPhilosophy の葛藤?(『季刊日本思想史』No.66ぺりかん社、2004年)の3論文から、その3論文の主 題である西周がPhilosophieを「哲学」と訳し、それが日本の学問へ、さらには東アジアの 文化にどういう影響を与えたかを改めて考察したものである。また、今回新たに見出した 知見も加えている。 西周の「哲学」と東アジアの学問 高 坂  史 朗 はじめに 1.Philosophie of Wijsbegeerte 2.「哲学」という翻訳語の意義 (1)漢文から和語表現 (2)修己と治人、心理と物理の区別 (3)体系の導入 (4)方法的差異 3.「哲学」と東アジアの学問 (1)日本の哲学 (2)中国の「哲学」受容 (3)胡適『中国哲学史』 (4)馮友蘭『中国哲学史』 (5)唯物史観 (6)朝鮮の「哲学」受容 (7)まとめ 『北東アジア研究』第14?15合併号(2008年3月) - 152 - 1.Philosophie of Wijsbegeerte 西周らは文久二年(1862)年六月十八日品川を出帆し、オランダへ向けて旅立った。彼 が旅立つ前五月十五日付(六月二日別紙追加)で松岡 次郎宛に「西洋哲学に対する関心」 を述べた書翰がある。それはアメリカへ渡航する件が南北戦争等でオランダとなり、その 期日が定まらないが、その渡航への思いや西洋の学問への期待を親友に語る文章である。 「小生頃来西洋之性理之学、又経済学抔之一端を窺候処、実ニ可驚公平正大之論ニ而、 従来所学漢説とは頗端を異ニシ候処も有之哉ニ相覚申候、尤彼之耶蘇教抔は、今西洋一般 之所奉ニ有之候得共、毛之生たる仏法ニ而、卑陋之極取へきこと無之と相覚申候、只ヒロ ソヒ之学ニ而、性命之理を説くは程朱ニも軼き、公順自然之道に本き、経済之大本を建て たるは、所謂王政にも勝り、合衆国英吉利等之制度文物は、彼堯舜官天下之意と、周召制 典型は心ニも超へたりと相覚候」 そして彼らはおよそ10ヶ月かけて文久三年四月十八日(西暦1863年6月3日)オランダ 本土のプロウルスラアチンに入港し、翌日にロッテルダムに上陸した。ここから西のオラ ンダ留学が始まるのであるが、彼は上陸をする前にテルナーテ号の船中で一通の手紙を書 いている。Aan den belanghebbenden(関係者各位)と宛名書きをして書いた手紙は、通訳 として日本の14名の派遣団を迎えたホフマン教授からライデン大学のフィッセリング教授 に手渡された。その一文を引用しよう。 Overingens moet het gebied van wetenschappen bezochten, hetweik Philosophie of wijsbegeerte geheeten wordt, maar toch van Godsdienstige gevoelen, die de wet des Onzes Rijks niet toelaat te dulden, verschilt hetgeen in de vroegere tijden, door Descartes, Socke, hegel, Kante enz. is gestaafd. 訳を当てると次のようになる。「以上の外にまた私は哲学(Philosophie)または愛智学 (Wijsbegeerte)といわれる学問をも学びたいと思います。この学問はわが国の法律で禁止 されている神学とは異なり、デカルト(Descartes)ロック(Socke)ヘーゲル(hegel)カ ント(Kante)等の唱導したものであります。」と、非常な熱意で哲学への思いを語ってい るのであるが、ところがよく見ると、Descartes以外Socke, hegel, Kanteと誤字なのである? 書簡の中で他の言葉にもオランダ語として多少の誤りはあるが、ここまでひどくはない。 この手紙はテルナーテ号の船室で書かれ、そこにはオランダ船員を始め、幾人かのオラン ダ人がいたであろう。通常いわゆるネイティブ?チェックがなされていたであろう。とす ればそのチェックしたオランダ人は哲学者の名前まで正確にスペルを知らなかったのだろ うか? そしてそれより以上に大切なことは、最初の書簡と見比べると、西は日本で学んだ

文档评论(0)

***** + 关注
实名认证
文档贡献者

该用户很懒,什么也没介绍

1亿VIP精品文档

相关文档