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    西田幾多郎とデカルト、そしてカント 山田弘明?吉田健太郎他訳『哲学原理ルネ?デカルト』から「考える私」を読む一一 荒井正雄  I.デカルトと近代思想 一一その「光」と「影」  18世紀のヨーロッパには、宇宙の万物は、人間の利益のために意識的に創造されたとす る目的論的自然学説があった、と言う(l)。このことは、特殊な学説であったにせよルネッ サンス期以降に形成された人間中心主義が、近代市民社会の中核に位置づけられていること の証であるように思われる。イギリス経験論の創始者J?ロックは、「大地と……大地が自然 に生み出す果実や大地が養う動物」は神が人々に与えたもの一一私有財産である(2)とす るが、従って「市民社会の経済社会としての側面により重点」を置くロックの経済発展史的 論理構成は、「人間のエゴイズム(無制限な所有欲)をかなりオプティミスチックに肯定」し ているのである(3)。現在、人類史上にて問題視されている環境(生態系)破壊は、人間の欲 望に基づく自然支配の独善性が深く関わっているとした反省がなされているが、このような 近代的「進歩」(光∩こ伴う「負」(影)の側面に対する批判の、特に功利主義-一社会を文明化 し不幸にした「商業と金銭」への人間の飽くなき追求は、私的所有権の肥大化と貧富の階級的分化をもたらした、換言 すれば自然(大地)の人間への従属を意味する「進歩改良」は、(人間を堕落させたいJ?Jリレソー)一一に伴う 生態系破壊の現代病理学的な進歩主義に対する批判根拠が、ここにある。  ところで西洋近代哲学の歴史は、デカルト以降「自我」(私)の形成史であったが、市民社 会における自由な個人(多くの「私」)が重視されるようになった思想的発端は、精神と身体と を区別した自らの哲学一一F自然の光」(理性的認識)によって真理探究を開始したデカルトに 求められる。野日又夫(京都大学名誉教授西洋近世哲学史専攻)は、「デカルトの思想は現代にいた るまで、西洋近世の思想的状況の基礎条件を典型的に示している」と説明するが(4)、典型 的とは、木田元(中央大学)の言説を借用して言えば、デカルト哲学の「『思うわれ』は、世界 のうちに何か存在し何か存在しないかを決定するものであり、そのかぎりそれ自身は《世界 のうちに存在する》とはいえない、つまり《超越論的》transzendentalな主観なのであり、 他方、世界とはこの理性的主観によって認識されるかぎりで存在する」(5)とした心身二元 論のことである。「理性的主観」〈考える「私」〉を原理としたデカルト哲学は、理性論の端緒と なったが、それ故に啓蒙主義時代には、事実を尊重し、その原理を把握する「理性の活動」 を徹底することを特色とする自然学《自然哲学=科学》に基づく認識(明証的直観)こそが、「人類 の善への最も正しい手段」と考えられようになった。こうして近代哲学や科学は、理性的主 観と客観的世界を想定することになったが、認識を「思惟する主体」に従属させた哲学者と してデカルトは、「近代哲学の父」と呼称されるようになったことは、周知の通りである。  以上のことを踏まえて、デカルト哲学への、特に「形而上学」の主題である「考える私」 (精神、理性)とは、何か。「考える」論理形式はあるのか、などの「問い」について、カント の「認識主観」、西日哲学の「矛盾的自己同一的」に「考える私」(真の自己)の自覚と認識に 関連させながら、筆者なりの「解答」を試みたい。 43  Ⅱ。デカルト哲学の理論体系一一山田?吉田他訳『哲学原理ルネ?デカルト』を中心に  論題に入る前に、ちくま学芸文庫の1冊として刊行された(2009年)、山田弘明?古田健 太郎?久保田進一?岩佐宣明共訳の『哲学原理ルネ?デカルト』について、簡単な紹介をし ておきたい(以下「ちくま版」と略記)。  デカルトの哲学体系は、『哲学原理』に収録の「著者(引用者註:デカルト)から仏訳者にあて た手紙-一序にかえてー-」(以下「手紙」と略記)中で、「一本の樹」に擬えて説明されている が(6)、「手紙」によれば体系=樹の「根」は、「形而上学」であり、「幹」は、自然学(自然 哲学)、そして「枝」は、諸学問(医学、機械学(機械的技術)、道徳)からなる、と言う。  今回刊行された「ちくま版」『哲学原理』は、上述したデカルト哲学の体系的「根」にあた る第1部「形而上学」を翻訳したものであるが、各節(第1節~76節)ごとに翻訳者の「解説」  (翻訳者にeる重要な用語と論点を記載)と「参照」(「関連する他の多くのテキストを挙げて『哲学原理』の形而上 学の独自性Jを指摘)、「注釈」があり、巻末には、「スコラ哲学との関係」を考慮して「ラテン語 索引」を載せている(「あ

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