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日本共产党纲领.doc

日本共産党綱領 2004年1月17日 第23回党大会で改定 一、戦前の日本社会と日本共産党  (一)日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。  当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。  党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。  (二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。  党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。  党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。  党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。  党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。  党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地?半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。  (三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア?太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。  帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。  他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。  侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲で多くの地方が焦土となった。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。  ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。 二、現在の日本社会の特質  (四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。  第一は、日本が、独立国としての地位を失い、アメリカへの事実上の従属国の立場になったことである。  敗戦後の日本は、反ファッショ連合国を代表するという名目で、アメリカ軍の占領下におかれた。アメリカは、その占領支配をやがて自分の単独支配に変え、さらに一九五一年に締結されたサンフランシスコ平和条約と日米安保条約では、沖縄の占領支配を継続するとともに、日本本土においても、占領下に各地につくった米軍基地の主要部分を存続させ、アメリカの世界戦略の半永久的な前線基地という役割を日本に押しつけた。日米安保条約は、一九六〇年に改定されたが、それは、日本の従属的な地位を改善するどころか、基地貸与条約という性格にくわえ、有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項や日米経済協力の条項などを新しい柱として盛り込み、日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約に改悪?強化したものであった。  第二は、日本の政治制度における

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