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知識を通じた市場の構築と信頼

  知識を通じた市場の構築と信頼  ―コンヴァンシオン経済学及びアクターネットワーク理論の展開から―                農林水産省農林水産政策研究所 国際政策部 須田文明 1.はじめに  本稿は、主としてフランスのコンヴァンシオナリストの業績を参照しながら、純粋市場論理に固有な、戦略的な相互行為は、それだけではお互いの行動をコーディネート(調整)することはできず、当事者たちにとって外在的な共通の参照点を介在させなければならないことを明らかにする。また製品という共通の対象物を通じて、個人的行為を相互に調整する形態は多様であり、市場的調整はその一つでしかないことが示されよう。さらに経済的相互行為において、ウィリアムソンは計算可能性という概念があれば、信頼概念は無用であるとしたが、本稿はこれに対するコンヴァンシオナリストの反論を検討し、戦略的相互行為からは生じ得ない第三者(人やモノ)への信頼が、市場を支えることを明らかにする。また市場への構築主義的アプローチ(M.Callon等)によりながら、市場的コーディネーションにおいて、計算的エージェントが登場する条件、とりわけ知識の役割を検討したい。   2.純粋市場論理の不完全性  フランスのコンヴァンシオナリストは、そのconvention概念の起源をケインズ『一般理論』(第12章及び15章)、D.K. Lewis著Convention(1969)に求めるが、コンヴァンシオナリストはその意味を、慣行や慣習以外に、(大澤(1994)が検討しているような)「合意」もしくは「取り決め」の意味で用いており、サレとM.Storper(UCLA教授)はeconomie des conventionsというフランス語は英訳不可能である、とさえ述べている(Salais and Storper,p.170)。またBatifoulier et Larquier (2001,p.13)は、行為を調整する特殊な規則としてのconventionについて三つの特徴を指摘している。その裁量的性格(お互いを調整するために、別の選択肢も存在する)。定義の曖昧さ、そして明示的な罰則がないこと、である。  さて、個人的行為の集合的コーディネーションを検討する際に、コンヴァンシオナリストがまず挙げるのは、集合的表象をめぐる調整である。Favereau(1986)は、ケインズの『一般理論』における金融市場分析に言及し、「期待」を調和させるその力のゆえに、こうしたコーディネーション様式(convention1)が市場の「補完物」をなすことができるとする。他方で、彼は、ピオリの内部労働市場としての企業の役割を指摘し、慣行や規則などの様式(convention2)が「行為」を調和させる、その力のゆえに、市場機能の「代替物」をなすことを指摘している(p.251)(注1)。convention1が自成的な秩序を示すのに対し、convention2は、「権威関係」に基づいたヒエラルキー的構築物なのである。 (1)「共有知Common Knowledge」とconvention  期待などの集合的表象を通じた調整の典型的な例は、「共有知」(注2)である。たとえ均衡解が複数あるような場合でも、アクターたちが共通の表象(共有知)を有していれば、彼らの行動を収斂させることができると期待できよう(Livet et Theveno,p.143)。共有知とは、他者の位置に身を置き、他者の視点から世界を見るという意味で、交差された表象をいく段にも重ねた、鏡の反射のような反復的鏡像反射specurariteのことである(「、、、と彼が考えると君が考えると私は考える」といった類)(Dupuy,1989,p.366)。D.K.Lewis(1969)は、集合的対象物たる言語から、不透明性や外在性を抜き取り、個人間の相互行為からこれを構築しようとして共有知に依拠したのである。共有知において集団が個人にとって完全に透明になるとすれば、この知識は方法論的個人主義の絶頂をなしている。しかし個人の際限のない鏡像反射は、安定的な秩序ではなく、ラディカルな決定不可能性をもたらす。この決定不可能性と断絶するためには、最小限度の集団的不透明さが不可欠なのである(大澤1994,p.80)。なんとなれば、こうした不透明性へと個人的行動が収斂し、この不透明性が鏡像反射のスパイラルを停止させるからである(Rallet1993,p.53-54)。デュピュイもまた合理性のパラダイムだけで、集合的、社会的現実を考慮することはできないとし、R.J.Aumannの次の言葉を引用している(p.364)。すなわち「純粋合理性はそれだけでは十分でなく、この合理性が意味を持つのは、不合理性が存

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