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日本文化论

日本文化と世界 ―小さく、洗練され?世界へ発信― 大羽 武 序 論  言葉の問題を考える時、いつも思い浮かぶ光景がいくつかある。まず、総理大臣など日本政府の要人がアメリカ合衆国を訪問し、日米両政府の首脳がソファ、あるいは肘掛け椅子に坐って会談する場面である。日本人は男女を問わず両脚を揃えて坐り、両手を膝の上に置いて、あるいは精々椅子の肘掛けに載せて、「行儀の良い」姿勢で話を交わす。しかしながら、アメリカ側の要人は、男女を問わずたいてい脚を組んで話をする。この光景を見ていると、何だか日本政府の関係者とアメリカ政府の関係者の間に漠然とした主従の関係があるように見え、幾ばくかの違和感を覚える。これは筆者が自然に日本人の価値観から眺めていることに由来する必然的な結果である。たとえば、日本の会社でソファに坐って話し合う場合、脚を組んで話したら、「あいつは横柄だ」、「あの態度は生意気だ」、女性なら「行儀が悪い」と話の内容とはかけ離れたところで批判を受けるだろう。そこに上役がいれば間違いなく、その態度は詰られる。 だが、アメリカ側には、脚を組んで話すことに対し、「横柄だ」、「礼を失する」という価値判断はない、話の内容だけが問題なのだ。だからライス国務長官は小泉首相との会談でも、それが当たり前というように器用に脚を組んで、ニコニコしているのである。これはアメリカばかりでなく、ヨーロッパでも同様のシーンが観られる。このような場面は日本人と欧米人という組み合わせばかりでなく、中国の胡錦濤主席や韓国の廬武鉉26年前の事件である。東大経済学部を卒業し一流企業に勤務する父親は、2人の息子たちにも一流大学、一流企業へ進むことを期待する。意欲を持ち努力しさえすれば、一流大学に合格できるはずだ、というのが父親の人生哲学である。母親は夫を尊敬し、夫の方針に従って子供の躾、教育に当たってきた。長男は両親の期待通りに一流大学に進学し、一流企業に就職。しかし、2歳下の次男は有名大学の付属高校の入学試験に失敗したあたりから成績が振るわなくなり、しだいに父親の期待から逸れていく。2度大学受験に失敗。もう1年浪人させてくださいと父親に懇願し、浪人生活2年目に入る。だが、予備校に通うと毎朝家を出るが、予備校には行かず時間とお金を浪費し続ける。そしてある夜、父親の定期入れからキャッシュカードを盗んだことがばれる。その際、身に覚えのない現金盗難まで疑われ、父親から「家に泥棒を置くわけにはいかない。出て行け!」と激しく叱責される。こんな場面ではいつも父親を宥め、次男を戒め、支援してくれていた母親も、この夜ばかりは父親と一緒になって次男を叱責する。次男は2階の自室でウイスキーをグイグイ呷り、やるせない気持ちを紛らわす。ちょうどその時、父親が部屋に入ってくる。酒を飲んでいる次男を見て、さらに怒りを爆発させ「大学に行くのを止めて、明日、出て行け!」と足蹴りする。次男は追いつめられ、逆上し、ウイスキーをさらに飲み犯行を決意する。 1階で寝ている両親の顔と頭が叩き割られ、脳漿は飛散、血飛沫は天井まで達する。翌朝、次男が近くのよく知った主婦に惨劇を告げ、事件が明るみに出る。警察は、凄惨な状況から単なる強盗殺人ではなく、 怨恨による犯行と断定。だが、翌日、第一発見者の次男が犯行を自供。各紙は社会面トップで報道。警察に連行される20歳の青年。銀縁の厚レンズ眼鏡をかけた大柄な体躯。一斉にたかれるカメラのフラッシュにも顔を隠さず、平然とした態度。取り調べにも涙ひとつ見せない。謝罪の言葉もなく、差し入れの弁当をペロリと平らげる。犯行後、金属バットを風呂で洗い、強盗殺人に見せかける偽装工作。マスコミはこういったことを取り上げ、この青年を残忍非道な犯罪者のイメージ通りに仕立て上げていく。 この事件が世間を震撼させたのは、その残虐さよりも、むしろ受験生を抱えた家庭なら、そして仕事中毒の父親がいる家庭なら、日本中どこでも起こり得るという点にあった。 決して他人事では済まされない事件であった。高校生の放火殺人事件と2浪生の両親殺害事件に共通しているのは、父親がエリートであり、息子にも勉強してエリートの道を歩ませようと強制していたことである。その父親の哲学は、「やればできる。できないのは意欲に欠けるからであり、努力が足りないからである」という自らの経験から無意識にできあがったものである。だから子供たちにも努力してエリートの道を歩んでほしかった。それが子供の幸せのために親としてできる唯一の事だと信じて毫も疑わなかった。 父親が子供のために敷いてやったレールを走ることができる子供はそれでもよいが、そのレールを走るのが嫌な子供がいること、レールから外れる子供がいること、また、行き先の違うレールを走りたい子供がいること

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