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吉备歴文会平成25年3月度例会报告
平成 25 年 3 月 19 日
吉備歴文会 平成 25 年 3 月度 例会報告
吉備国の語源『黄蕨』と羈縻(きび)
日本先史古代研究会 丸谷憲二
1 はじめに
岡山県には古代において強大な政権が存在していた。「吉備国」である。吉備氏の始祖伝
承は古事記、日本書紀に記録されている。その記述量は地方豪族の中では突出している。
しかし、吉備国の語源については明確になっていない。その理由は、文献史料として『古
事記』、『日本書紀』、『続日本記』のみを使用しているからである。
せんだい き く じ ほ ん き たいせいきょう
吉備国の最古の記録は、推古 30 年(622)成立の『先代旧事本紀大成経七十二巻本』で
ある。吉備は 「黄蕨」「黄蕨津彦神」と記録されている。『黄蕨』は古代地名であり漢音は
こうけつ
「コウケツ」である。地名学より黄蕨国の蕨は突厥国からの渡来者を意味している。
突厥国を調査していて羈縻(きび)を知った。羈縻とは 「羈:午の手綱、縻:牛の鼻綱」
を意味している。つまり、「手綱・鼻綱で周辺諸国を中国から離反しないように繋ぎ止めて
おく」古代中国の間接支配の方法である。地名学による調査研究内容を報告したい。
『東洋文庫 223 騎馬民族史 2 正史北狄 (ホクテキ)伝』 』 昭和 47 年 平凡社より
』』
2 2 弥生時代の黄蕨国
22
弥生時代中期の紀元前 1 世紀ごろ、日本列島(倭国)は百余国に分かれていた。紀元後
1 世紀後半には、「倭国乱れ、相攻伐すること暦年」とされている。高島村のある旭東平野
に人々が暮らし始めたのは縄文時代である。弥生時代になると多くのムラができて雄町遺
跡のような大きなムラも見られる。弥生時代とは水稲栽培を中心とする生産経済の本格化
と共に、金属器の使用という大革命の時代であり百間川沢田遺跡(多くの土器 ・炉床・貯
1
蔵穴を発見)、百間川原尾島遺跡の時代である。
注目すべきは「高島村古跡略図」のハガという地名である。テュルク(突厥)の名は 530
~540 年代には中国人に知られ、突厥国成立は 552 年。随への侵入は 582 年である。
『テュルクのカガン系譜』に、①イリク(552~553)⇒②乙息記(553)⇒バガ(587~
588) とあり、ハガという地名はバガ縁の渡来人と考えられる。
「テュルクのカガン系譜」の中の 5 人の名前と、岡山県内の地名が一致している事実を発
見した。突厥国の東西分裂は 583 年である。分裂による混乱により黄蕨国へ渡来したと考
えた。
「テュルクのカガン系譜」
『世界の歴史⑩ 草原とオアシス』収録 山田信夫 昭和 60 年 講談社
ようけいけん
2.1 ハガ遺跡と羊形硯
ハガ遺跡は岡山平野の中央部に位置している。岡山三大河川の一つである旭川の東岸平
野の北半になる。『ハガ(高島小プール)遺跡発掘調査現地説明会資料』には「遺構面は 4面
で、最も古いのは 7 世紀の遺構面で、比較的小さな柱穴と溝が検出された。」と報告されて
ようけいけん
いる。ハガ遺跡から出土した羊形硯は頭の部分のみの破片である。羊をかたどった焼き物
の硯(岡山市埋蔵文化財センター所蔵)で
ある。突厥国からの
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