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战争时期日本电影和家族主义
戦時下の日本映画と家族主義
「
─ 国体」における家族の実態とその思想
葛西 裕仁
0・はじめに
本稿では昭和戦時下の日本映画を中心的な題材としながら、そこに表象される家族
とその背景となる思想について考察を試みる。これまでにも日本政治思想の研究にお
いて、戦時下における天皇制政治制度としての 「国体」と 「家」を核とする家族主義
とのつながりは特に重要な問題として取り上げられてきた。それは後述するように天
皇制国家における近代日本の政治形態が天皇という君主による強権的な支配としての
絶対君主制に徹することなく、国民が天皇の大政を翼賛するという形式のもとで、天
皇と国民が一体となった政治への道がひらかれていたことにある。そして天皇と国民
が一体であるところの 「君臣一体」の理念は、思想的には天皇と国民を家族的な関係
として捉え、国家を一つの家族とみなす家族主義国家観として、制度的には明治民法
によって規定されたところの 「家」制度として顕現されることとなった。このように
戦前の日本において家族主義と 「家」制度は 「国体」の政治と密接な関わりをもって
いた。
しかし、一方で1931年から45 年までの昭和戦時下における映画をみると、そこに
は 「家」を中心とした家族の物語はほとんど描かれてはいない。それどころか戦争が
太平洋からアジア全域へと拡大された1941年以降の精神主義映画においては、しばし
ば父は登場しないか、少なくとも中心的ではない役割を与えられている。
本稿ではこのような父も 「家」も存在しない形での家族が、戦時下のプロパガンダ
を目的として製作された国策映画において少なからず存在していることに注目する。
そしてそれらの映画において家族主義がどのような形であらわれているかについて、
戦時下の映画を中心に、当時の大衆文化や家族構成の実態なども視野に入れながら考
察していきたい。
1・「国体」と家族主義イデオロギー
まずは戦時下の天皇制政治制度としての「国体」と家族主義の関係について明らかに
しておきたい。明治時代、従来の幕府を中心とした封建体制から、近代国家としての
国民国家を目指す政府にとって「国体」の正統性を根拠付けることは、近代国家として
の日本を建設するにあたり最も重要な課題であった。天皇は、当時の日本を戦国時代
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メディアと社会 創刊号
の大名のように武力で統一したわけでもなく、国民の投票によって選ばれたわけでも
ない。その天皇が主権者として国民を統治するのにはそれなりの根拠が必要であった。
そのようななか天皇はどのように主権者としての正統性を与えられたのであろうか。
この点に関しては丸山眞男による 「超国家主義の論理と心理」における分析を参照
することができる。丸山はこのなかで天皇制を絶対主義と明確に区別できるものとし
て分析している。
「真理ではなくして権威が法を作る」というホッブスの命題に於ける権威とはその
0 0
中に一切の規範的価値を内包せざる純粋の現実的決断である。主権者の決断によ
0 0 0 0 0 0 0 0 0
つてはじめて是非善悪が定まるのであつて、主権者が前以て存在している真理乃
0 0
至正義を実現するのではないというのがレヴァイアサンの国家なのである・・・・
ところが我が国家主権は前述したとおり決してこのような形式的妥当性に甘んじ
ようとはしない。国家活動が国家を超えた道義的基準に服しないのは、主権者が
「無」の決断者だからではなく、主権者自らのうちに絶対的価値が体現しているか
1
らである。
このように丸山は、日本の天皇制とは、支配の正統性の根拠を主権者の決断に拠る
絶対主義とはことなり、「無限の古にさかのぼる伝統の権威を背後に負っている」こと
によって、はじめて究極的価値の絶対的体現者、究極的実体とみなされる天皇の支配
2
によって成り立っ
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