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1976年1月7日-教育思想史学会
教育思想史学会第12回大会 於 目白大学:2002年9月22日(日)
水島和則(東北大学)
コロキウムⅠ フーコーの講義録(1975?1976年)を読み解く
――『異常者たち』と『「社会を防衛しなければならない」』をめぐって――
政治闘争の道具としての歴史的知:歴史記述と人種、階級、ネーション
0 はじめに:
先の報告で指摘されたように、フーコーの議論のなかで戦争論は二重の位置を占めている。一方でそれは法学的-主権論的図式に代わる権力分析の方法、いわば分析の枠組と想定されている。しかし他方でそれは誕生を特定の歴史的日付に遡ることができる言説であり、系譜学的手法によって分析すべき対象なのである。本報告では主に後者の側面に焦点をあて、フーコーが戦争論の系譜をどのように辿っているのか、その議論の射程はどのようなものかを検討する。
1 出版の経緯と講義のモチーフ
『「社会を防衛しなければならない」』の講義録が全体として公刊されたのは1997年だが(1)、最初の二回分は講義の数年後に英語で刊行されており(Colin Gordon,ed.1980)、最後の一回分は「生きさせるか死のままに放置するか」という表題で1991年にLes Temp Modernes誌に掲載されている。
とりわけ後者の論文は、『性の歴史第一巻 知への意志』の第五章「死に対する権力と生に対する権力」の議論とある程度重複しながらも、レイシズムへのより詳しい論及を含んでおり、ナチスに体現される国家レイシズムの形成を正面から問題としたテクストとして、1990年代以降のフーコー研究において少なからぬ関心を集めてきた。
このように1976年講義は一部分が先行して刊行され、一人歩きして読まれてきたため、フーコーのレイシズム論(最終章)あるいは方法論的な転換点(第一、二章)という観点から取り上げられることが多く、これまで講義全体の構図がじゅうぶんに議論されてきたとはいえない(2)。『監獄の誕生』が「非行者」のテーマ、『知への意志』がセクシュアリティのテーマを扱っているのとパラレルに、『「社会を防衛しなければならない」』がレイシズムの系譜学を扱っているのかといえば事態はそれほど単純ではなく、フーコーは第四回の講義(2月4日)の冒頭で、講義のテーマはレイシズムでも人種(racesは複数形)問題でもないと明言している。実際レイシズム論としてみた場合には、植民地主義への言及がほとんどみられないなど(3)、講義は物足りない内容になっている。
それでは1976年度講義の関心の焦点はどこにあるのかといえば、それは歴史記述の系譜学にある。フーコーが国家レイシズムについてふれるとしても、それはあくまで歴史的言説の「真理効果」のひとつとしてなのである。その意味でこの講義は、歴史的知の政治性を正面から問題にしたものであり、歴史記述が国家の道具になったり、国家を転覆する道具になったりする、その力の場の解明が課題になっている。歴史というものを無知と知との対立からとらえる啓蒙モデルから脱却して、異なる知識の形態が、同時代の社会秩序に対してどのような異なる真理効果を及ぼすかのかが考察の焦点になっている。
残念ながら、こうしたフーコーの企てをフーコー研究ならびに歴史学のコンテクスト両方を視野に入れつつじゅうぶんに評価?検討する力量は報告者にはないが、講義の全体像を整理しつついくつかの問題を提起することを通じて、この講義がフーコー研究あるいは教育思想史研究にとってもちうる意味について予備的な考察をおこないたい。
1 議論の概要
1976年講義のなかで、戦争言説の誕生と変遷の分析にあてられているのは第3回から第11回(最終回)までである。そのさい19世紀前半までを辿った第十回と、20世紀の国家レイシズムを扱った第11回とのあいだにはやや時代的空白があるといえなくもない。いずれにせよ戦争論について、講義の骨子を次のようにまとめることができるだろう。(箇条書きの番号は講義回数とは無関係である)
1) 戦争論としての人種言説の誕生
人種についての言説は、戦争と人種間闘争の言説として16世紀に誕生した。これは社会を永久戦争と二項対立的敵対関係としてとらえるものであり、たとえば17世紀末の歴史家ブーランヴィリエは、フランス史をガリア人とゲルマン人の抗争としてとらえた。
2) 戦争論の担い手
この言説は1630年代英国では絶対君主制に抵抗する小ブルジョワと庶民層の権利要求のなかで明確に定式化され、主にピューリタン、なかでも水平派が担い手だった。次に50年後、ルイ十四世の統治末期のフランスでは君主制とブルジョワ双方に対抗する
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