-第3图小仓城迹概要图.pdf

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第小城概要十五年示寂山内上杉氏深谷上杉氏世後半以降地域史再必要周川隔西山根世川下流菅谷城上流青山城都川流域南玉川屋根世末世前半北谷原合所平寺世中世所在他村内山根筋属中世通寺栗谷群世大量在地土器出土玉川屋岸玉川堀内群世代物出土年名判明周板碑小川町坂下所在永禄十年山町山年玉川村小年城接中世村落消参考第石配置概高地点本郭配梯郭式南南西北三方向郭配山麓比高差大福寺前面堀根小屋居可能性基本的造概略南北方向走主尾根沿郭郭列配置郭南郭南西堀切郭郭更南面北面方向面方向段状郭平郭状土模虎口造全郭点郭全郭序列明先主

第3図 小倉城跡概要図 十五年(1518)示寂していることから山内上杉氏や深谷上杉氏からのアプローチにより15世紀後半以降の 地域史を再検討する必要もある。  周辺の遺跡(1図)には、槻川を隔てて西500mにある№6山根遺跡(13~16世紀)、槻川下流2. 3㎞に№8菅谷城跡、上流2.5㎞に№5青山城跡、都幾川流域で南へ2.5㎞ほどの№2玉川陣屋・根 際遺跡(12世紀末~17世紀前半)があり、北東へ1.5㎞に須賀谷原の合戦のおり陣所のおかれた№ 7平沢寺(12世紀中頃~16世紀)が所在する。その他、村内には山の根筋に属する中世円通寺にか かわる№4栗ケ谷戸遺跡群で14~15世紀の大量の在地土器が出土し、玉川陣屋の対岸にあたる№3 玉川堀ノ内遺跡群でも15世紀代の遺物が出土している。  紀年名の判明する周辺の板碑では小川町坂下所在のものが1299~1570(永禄十□…67~70)年、 嵐山町遠山では1389~1568年、玉川村小倉では1280~1414年でそれぞれ城に接する中世村落消長の 参考となる。 - 5 - 第4図 石積み配置図 3 遺跡の概観  a縄張り  標高 137m地点に本郭を配し、梯郭式に東南、南西、北東の三方向に郭を配する。山麓との比高 差は約 70mで大福寺は前面に構堀があり根小屋、居館となる可能性がある。基本的な構造は概略南 北方向に走る主尾根に沿って郭1と郭2を並列して配置し郭1南東と郭2南西を堀切り郭3、郭4を 設ける。更にそれぞれ南面、北面方向と東面方向に階段状に郭や平場を連ねる。(2、3図)。郭1は 現状で土塁の規模、虎口の造り、全ての導線が郭1に収斂する点から、郭2はもちろんのこと全ての 郭との序列で明らかに優先し主郭と解せよう。枡形虎口や郭2南の横堀とセットになったクランク 状の塁線の折れ、それに組み合わされた櫓台風の土壇による横矢がかり(松岡2002)、郭1南・郭3 ・郭4の虎口に見られる比企型虎口(西股1999)など、それらはいずれも後北条系の技術として認識又は 発展したものとされている場合が殆どである。各郭の平面形としては上述したとおり郭2南西に堀とセ ットになった比較的大きな折れがあるが、それ以外は虎口や塁線に小さな折れを持つのみで、塁線の 折れは顕著ではない。それは、青山城や腰越城にも共通する要素と言える。これらの3城はむしろル ートの折れにこそ主眼が置かれており、その点に腐心しているように思われる。  b石積み遺構  (1)概要  現在確認されている石積みは、図に示したとおりで本郭東側外面を中心に総延長100m以上に達して おり、特に本郭東虎口前面の平場から三郭にかけての東西南の三面(4図)は、すべてが石積みであり この部分の最大高が5mに及ぶ。また虎口については本郭に開口する3つの虎口(4図A、B、C)を はじめ三郭西面の虎口(4図E)、本郭北腰郭の枡形状虎口(4図D)、二郭南面の腰郭から谷へ降り る虎口(4図F)と虎口Gの下段平場の計7カ所に確認され、主要な虎口にはすべて見られ、視覚効 - 6 - 図 面 図 立 面 み 立 積 み 石 積 面 石 外

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